RainbowSongのブログ

根暗で非コミュの30歳。腎炎持ち。文化系の趣味を自称したいけどアウトプットが何もできない。

会社員に向いていない。でもそれでしか生きていけない。


一回の転職で大いに後悔して鬱病手前までいった自分からすると、この記事に言及せずにはいられない。

もともと自分がコミュ障気味であることは認識していた。大企業と呼ばれる会社に入り、同期は裕に3桁をいく環境の中で、自然に、ごくシームレスに浮いていく自分がいた。この環境ではもう駄目だ、結婚をした今ならきっと明るく前向きに、もう一度人間関係を作り直せるだろうという甘い考えをもって(本当に、本当に本当に甘い考えだった)転職を実行した。それがどうだ。一年近く経とうとしている今、結局自分は以前の職場のような環境を作りだしてようやく安穏としている。つまり、昼休みは一人で過ごすし、夜の付き合いはお断りだし、極力人と話をしないということだ。

転職直後は自分に「絶対、人と交流する」という思い鎖を科し、本心では拒否感しかないのに、(会ったばかりで当然だけど)よく知りもしない得体の知れない人たちとゾロゾロつるんで昼食の都内に繰り出した。話題は思いつかない。どのようにしてこの空間にいればよいのか検討もつかない。結果、昼飯が喉を通らなくなった。それでもその苦行を続け、挙句には平日の朝まで食事が喉を通らなくなった。通勤途中で嘔吐することもあった。

なんでここまでして人と馴れ合いたいのだろう。ひとりぼっちでいることを望んでいる。それは確かなのに、誰かに「ひとりだ」と思われることがとてつもなく怖くて、そう思われることを避けるがためだけにここまでの苦行を続けなければならなかった。なぜここまで恐怖心を感じるのか、未だに理解ができていない。意地を張ってこの苦行を続けることも、退避して自分の殻に閉じこもることも、どちらも地獄だった。

結局この認識(の病)は自力では解決できていない。持病再発という外的な理由を用いて今は一人で過ごすことを正当化している。言い訳があるから自分の胸の中でもある程度納得ができていて、一人で過ごせるこの環境をただただ甘受している。

オフィスでは、居づらい。気安く話ができる人は一人もいない。軽い雑談なんてできるはずもなく、息が詰まる。唯一安らげるのは男子トイレの大便器の場所だけだ。毎日、一分でも早く家に帰りたいと思っている。それでも最近はまだこの環境、自分という人間を受け容れられてきたように思う。ようやく今になって開き直ってきて、食欲は戻ってきたし、本を読みたい映画を見たいラジオを聞きたい観光地に足を運びたいといった意欲も湧いてきた。“興味”が湧いてくればこっちのものである。会社生活なんてあくまでもオプションであり、プライベートでやりたいことがあればそれだけで生きていける。

自分は本当に会社員に向いていないんだと思う。多くの人間と絡まざるをえない大企業なんて特に合っていないんだろう。それでも給料や福利厚生、持病持ちであることを考えるとこの環境以外に身を置くことは考えられない。こんな人間性だから部長からの評価は低いし、きっとこのまま昇進もできずにヒラ中のヒラのままサラリーマン人生を終えるんだと思う(新しい会社は昇進試験が厳格で、前みたいにただのほほんと過ごしているだけでは昇進ができないのだ)。それでも、まぁ、もう、仕方ないんだろうな。オフィスに居るだけで、人と廊下ですれ違うだけで心が疲弊する人間がいるなんて、皆誰も想像できないのだろう。毎日せっせと通勤して、与えられた仕事を粛々とこなしていく。それだけで充分じゃないかって、最近は自分を認めてやろうと思えてきた。あと30(+5?)年も続く会社生活をこのまま乗り切れるのかは大いに不安ではある。けれども、自分という人間性を受け容れて、なんとかやっていくしかないのだ。自分で自分を非難することをやめ、人の目を気にせず、定年まで勤め上げられたらいいな。自分の退職時には誰からのメッセージカードも拍手も送別会もないだろうけれど、それでもそうやってしか生きていけない自分を、自分くらいは認めてやらなければならない。

昼休みのトイレ(大便器に座って)増田を読んで、そんなことを思った。