RainbowSongのブログ

根暗で非コミュの30歳。腎炎持ち。文化系の趣味を自称したいけどアウトプットが何もできない。

転職なんてクソ喰らえ

転職してから三ヶ月余りが過ぎた。そろそろ感想を書き留めておこうと思う。

自分の転職は単なる現実逃避だった、それを認めよう。築けない人間関係と、人としての劣等を見せつけられる環境が、辛くて仕方なかった(その辛さも、新しい会社に入ることに比べれな屁でもないことは後で感じること)。だからリセットしてやり直したかった。

だが、どこに行ったって自分(の性格)からは逃げられない。転職の感想を二択で答えろと言われれば、躊躇なく答えは“後悔している”だ。

大企業から大企業への転職だから、仕事の中身はそれほど変わらない。転職理由の一つが「今後会社が潰れてもどこにでも誇って語れるような専門性の高い業務をしたい」ことだった。今思えば社会人7年も経験して何を甘ったれたことを言っているのかと思うのだが、あの時は転職さえすれば別世界があると思い込んでいた。高度な業務を当然に与えられるだろうという他人本意な願望を持っていた。ベンチャーや中小企業に飛び込んだならまだしも、大企業だから初歩的な実務からこなしていく必要がある。今さらこの程度のレベルの業務を覚えていく・やっていくならば、前の会社の方が存分に力を活かせた。その念が消せない。
また仮に専門性の高い業務を任されたとして、果たして自分にそれがこなせるか?答えは否である。自分は慢心していた。驕っていた。会社のごくごく一部の業務を何年もかけて取り組んでいただけで、自分は比較的能力がありどこでも適応できるのではないかと思っていた。恥ずかしい。

前の会社は業界自体が斜陽であり、かつその業界の中で最下位に位置していた。将来年を重ねてから倒産という憂き目にあうのではないか、不安な感情が消えなくて仕方なかった。しかし。今思えば資本金が4000億円もある会社がそう簡単に倒産するか?勿論会社が存続していても個人として退職勧奨にあう事態は起こり得よう。しかしそれを勘案してみても今の苦境を受け入れることを思えばやはり前の会社のままが良かったのではないか、と考えてしまう。妙な危機感と思いつきの“高い意識”は劇物である。

会社というのは一日の大半を過ごす場所で、そこでの苦楽が人生のほぼ全てを決定してしまう。自分にはもっと慎重さが必要だった。何より、覚悟が必要だった。自分と向き合い、自分が何を求めているか、じっくり吟味すべきだった。厳しい環境の中で自分を研鑽し、日々勉強が必要な環境を望むのか。または、仕事はそこそこに映画や小説に耽溺して自堕落に過ごすのか。自分は自分の意志を欺き、まるで向上心に満ち溢れる人間かのように振る舞った。その欺きさえ実は、安易な選択肢に飛びついただけで現実と向き合うことを拒み、他人任せの甘い幻想を夢見ていただけなのだが。

以上のように今回の転職には大いに後悔している。改めて自分の人間力の低さを痛感しているし、今着々と部内で浮き始めているところである。自分は唯一の拠り所であった「ある程度仕事ができる」というプライドを失い、人間性に欠陥があるという自覚を深めているばかりである。

しかしまぁ過去を顧みてもこれからの未来は現在の場所で続いていくわけで、どこかしらで現実を受け止めて前向きにやっていくしかない。三ヶ月が経過してようやく現状を受け入れつつあり、毎日生き地獄のようであった転職当初よりは精神状態が改善されてきた。転職で得られる果実は短期的には分かるまい。10年経った頃にようやく転職の成功失敗が判断できるだろう(その時には今の会社に慣れて活き活きとしているかもしれない。その時には前の会社がいよいよ苦境に陥っているかもしれない)。最近はそう思っている。
仕事はもういい。とにかく与えられたことを何とかやってみせる。問題は人とのコミュニケーション面。自分の人間性の劣等さを毎日毎日自覚するのは本当に辛い。これだけはホントどうにかならんものか。