RainbowSongのブログ

根暗で非コミュの30歳。腎炎持ち。文化系の趣味を自称したいけどアウトプットが何もできない。

悲しいことが立て続けに起きた。

よく分からないけど、にんじんの塔さんのブログが消えていた。悲しい。テンション高い文章より、穏やかで静謐な文体の記事の方が好きだった。過去の“手放した”という選択を悔いて生きている様に、勝手にシンパシーを感じてもいた。もう二度と彼女の文章が読めないと思うと残念でならない。

転職による適応不順と後悔の念により、初めて心療内科を受診した。どんなに足掻こうとも転職をしたという事実は変えられない。この現実が、悲しい。幸い、早々に不眠症は改善されている。相変わらず平日の昼は食事が喉を通らないけれど、ある程度の睡眠さえとれていれば生きていける。最近はもう、自分が何に悩んでいるのかが分からなくなってきた。仕事は頼る人がおらず、中身が分からず、上司に振り回されているという環境は大変に辛いけれども、この状況が他の人と比べれば比較的恵まれているものだろうとは思う。過去の職場を理想化して人生転落したかのような感覚は自分しか持ち得ておらず、それは他人に言わせればとても贅沢な悩みであり、現状の中で適応してテキトーにやっていけよ。そう思われるにちがいない。

週末には二度目の心療内科であるが、今後どうしようか迷っている。先生は親身になって話を聞いてくれるが、話をしたところで現実(転職したという事実)は何も変わらないわけで、これ以上ああだこうだやっても仕方が気がする。前回の診察では、まず身体に出ている症状を抑えてから、次に自分の性格の問題(劣等感が大変に強い点)に取り組んでいこうとおっしゃっていた。認知療法とかをやれば、自分の意識は変えられるのだろうか。この劣等意識とおさらばでき、一人でいることを何も卑屈にとらえずにもしいられるのであれば、それはなんて幸福だろうと思う。とにかく今は精神的に苦しすぎる。

この悩みは、しょうもなさすぎてレベルが低すぎて独善的すぎて、誰にも相談できないのが辛い。気分は沈んでいる。あー、晴れた気持ちで毎日を過ごしたい。いつまでこの憂鬱が続くのかなぁ。

人生で初、メンタルヘルスカウンセリング(電話で無料相談)を使った。

地獄を見た。

転職後初の長期休暇があったためこれまでの張り詰めた糸が切れたのか、その休暇が終わってから急に眠れなくなった。日・月・火曜の夜、三日間連続の1~2時間睡眠である。いいようのない身体のダルさ、うっすらとある吐き気。疲労を感じるがとにかく眠気が来ず、眠れない。

確かに会社での自分の将来、皆の輪の中に入って浮いている自分(しかもそれが毎日)を思うと、動悸がしてきてその不安感に発狂しそうになっていた。でもそれは自分の我慢が足らないだけで、乗り越えていかなければいけないもんなんだろうと思っていた。また、この程度を乗り越えられない自分は情けない生き物であり、嫁さんに顔向けもできないものだと思っていた。

そこで、メンタルヘルスカウンセリングへ電話した。気が紛れるんじゃかと、嫁の勧めがあったからだ。なるほど人に話すと頭が整理される。転職を後悔していること、人と馴染めない自分が大嫌いなこと、そして毎日行われる会社の人と連れ合う時間が苦痛過ぎてたまらないこと。

前職では業務以外は基本的に常に一人でいた。人間関係が築けず、社内の人間事情を知らず、会社で何が置きようとしているのか公式な情報以外には知らない。そんな自分が嫌で嫌で仕方なかった。でも打開策は見つからず、自分がとった手段は転職して環境を変えるという荒療治だった。仕事が変わり、見知らぬ人たちだらけの中でストレスを感じながら、でもそれでも人と付き合う時間を減らすことを自分に許さず、気づいたら眠れなくなって食事ものどを通らなくなっていた。これはもう限界のサインなんだろう。

カウンセラーの方には、「結婚に加えて転職までしたのだから環境を変えすぎ。」「その中で、一人を好む気質であるにもかかわらず人とかかわることを強制していてそこでも自分に変化を与えすぎ」「今後は元の自分のペースに戻し、これ以上新しいことは絶対にやらないように」とのアドバイスをいただいた。

人と馴染めない自分が大嫌いで、それくらいこなせなければ自分は生きている価値がない人間だくらいに思っていた。でももう、限界が来たのだ。自分は出来る範囲で努力をした。その結果、やはり自分は一人が好きだし、人と連れ合うことができない。それを誰かから後ろ指さされようがもう関係ない。自分という人間の正確を受け容れ、その世界で生きていくしかないのだ。とにかく眠れないという地獄のような日々を経て、ようやくその境地に至れた。ひとまず自分は努力をしてみたのだ。だからこそ、自分の劣等な部分を受け容れようと初めて思えた。転職という選択はもう取り消すことはできないが、今の環境の中でまた一人で生きていこう。

木曜は会社へ出社しない日だったおかげか、水曜の夜はそれはそれはぐっすり眠れた。久しぶりの睡眠は砂漠の中のオアシスのようで、朝から軽い身体が嬉しくてたまらなかった。健康こそ至福。幸い自分にはある程度の趣味があるのだし、もう人と連れ合うことは諦めて自分の世界で生きていく(嫁さんと一緒に)。100%純粋な気持ちでこう思えることが、今回の転職も無駄じゃなかった証明なのかな。

※「人間関係を作りたいから転職」というのはかなり飛躍がありますが、仕事内容や会社の業績的にも転職を検討していたということもあり、今回の決断に至った次第。でも結局9割くらいは人間関係を作りたいという希望をもっての転職だったかな。笑える。

転職なんてクソ喰らえ

転職してから三ヶ月余りが過ぎた。そろそろ感想を書き留めておこうと思う。

自分の転職は単なる現実逃避だった、それを認めよう。築けない人間関係と、人としての劣等を見せつけられる環境が、辛くて仕方なかった(その辛さも、新しい会社に入ることに比べれな屁でもないことは後で感じること)。だからリセットしてやり直したかった。

だが、どこに行ったって自分(の性格)からは逃げられない。転職の感想を二択で答えろと言われれば、躊躇なく答えは“後悔している”だ。

大企業から大企業への転職だから、仕事の中身はそれほど変わらない。転職理由の一つが「今後会社が潰れてもどこにでも誇って語れるような専門性の高い業務をしたい」ことだった。今思えば社会人7年も経験して何を甘ったれたことを言っているのかと思うのだが、あの時は転職さえすれば別世界があると思い込んでいた。高度な業務を当然に与えられるだろうという他人本意な願望を持っていた。ベンチャーや中小企業に飛び込んだならまだしも、大企業だから初歩的な実務からこなしていく必要がある。今さらこの程度のレベルの業務を覚えていく・やっていくならば、前の会社の方が存分に力を活かせた。その念が消せない。
また仮に専門性の高い業務を任されたとして、果たして自分にそれがこなせるか?答えは否である。自分は慢心していた。驕っていた。会社のごくごく一部の業務を何年もかけて取り組んでいただけで、自分は比較的能力がありどこでも適応できるのではないかと思っていた。恥ずかしい。

前の会社は業界自体が斜陽であり、かつその業界の中で最下位に位置していた。将来年を重ねてから倒産という憂き目にあうのではないか、不安な感情が消えなくて仕方なかった。しかし。今思えば資本金が4000億円もある会社がそう簡単に倒産するか?勿論会社が存続していても個人として退職勧奨にあう事態は起こり得よう。しかしそれを勘案してみても今の苦境を受け入れることを思えばやはり前の会社のままが良かったのではないか、と考えてしまう。妙な危機感と思いつきの“高い意識”は劇物である。

会社というのは一日の大半を過ごす場所で、そこでの苦楽が人生のほぼ全てを決定してしまう。自分にはもっと慎重さが必要だった。何より、覚悟が必要だった。自分と向き合い、自分が何を求めているか、じっくり吟味すべきだった。厳しい環境の中で自分を研鑽し、日々勉強が必要な環境を望むのか。または、仕事はそこそこに映画や小説に耽溺して自堕落に過ごすのか。自分は自分の意志を欺き、まるで向上心に満ち溢れる人間かのように振る舞った。その欺きさえ実は、安易な選択肢に飛びついただけで現実と向き合うことを拒み、他人任せの甘い幻想を夢見ていただけなのだが。

以上のように今回の転職には大いに後悔している。改めて自分の人間力の低さを痛感しているし、今着々と部内で浮き始めているところである。自分は唯一の拠り所であった「ある程度仕事ができる」というプライドを失い、人間性に欠陥があるという自覚を深めているばかりである。

しかしまぁ過去を顧みてもこれからの未来は現在の場所で続いていくわけで、どこかしらで現実を受け止めて前向きにやっていくしかない。三ヶ月が経過してようやく現状を受け入れつつあり、毎日生き地獄のようであった転職当初よりは精神状態が改善されてきた。転職で得られる果実は短期的には分かるまい。10年経った頃にようやく転職の成功失敗が判断できるだろう(その時には今の会社に慣れて活き活きとしているかもしれない。その時には前の会社がいよいよ苦境に陥っているかもしれない)。最近はそう思っている。
仕事はもういい。とにかく与えられたことを何とかやってみせる。問題は人とのコミュニケーション面。自分の人間性の劣等さを毎日毎日自覚するのは本当に辛い。これだけはホントどうにかならんものか。

隣の芝生は青い?

にんじんの塔(http://crrt.hateblo.jp/)さんを知った。きっかけははてブこの記事だけれども、それ以外の記事が自分の心を撃ち抜いた。全力で「人間」を生きている感じがして、羨ましくて仕方ない。久しく靄のかかったような頭で過ごしてきたけど、自分の感覚が呼び覚まされるようなこの感覚。人間の「生」の魅力を言語化できる彼女の文章力に脱帽した。

ルックスに恵まれ人を惹きつける才があることに加えて、小説や映画で養ったのか、人との交流・関係性を捉える感性を備えているなんて、彼女はズルいにもほどがある。

おれだって「自分」という資産をこれでもかというほど使い倒し、「人間」を遊び倒したかった。生まれたからにはもっと「人間」をエンジョイしたかった。写真や読書、映画などの趣味に没頭するのは当たり前、それに加えて実地体験をこなし、人間の世界を満喫したかった。

満喫するのにルックスが必要なの?YES!絶対にYES!ルックスが必要となる、そのステージで人生を骨の髄まで味わいたかったのだ。

最近はボリュームのない髪にまた悩み、プロペシア復帰したいなとか思ってる。でもこれからの不妊治療のことを考えたら手は出したくないなと尻込みしてる。ルックスが全てなのか。上記のような「ステージ」の人生を除いて、一般的に答えは当然否である。それなのに何故こうも悩むのか。ちょっと髪型の具合がいいと馬鹿みたいに陽気になる。

会社生活をしていればルックスのいい人なんてごく少数である。ルックスの冴えない彼ら彼女らを、おれは見下しているか?答えは否である。人格的に尊敬できる人には容姿なんて関係ない。ただその人がいてくれるだけでよい。それは心の底から思っていること。それなのに何故自分のことになると途端に容姿にこだわってしまうのか。それはソレこれはコレ、と割り切れないのか。

本音でありたい。自分を剥き出しのままで生きたい。人生を楽しみたい。色んなことを経験したい。
そう思いながら現実の自分は、新しい職場の蒸し暑いオフィスの中で、汗をかきながらまた意味の分からぬルーチン作業に没頭している。転職の時夢見ていた理想はどうやら手に入らないようだと理解しつつ軽く吐き気を覚えながら。

それでもおれは明日も髪型を気にしながら、いいことないかなと思いながら過ごすのだ。

**好きだった記事

これとかこれとか。高貴だけど、人間味を感じるところがイイ。

新しい職場、始めました

疲れる。想像以上に疲れる。ここから慣れによって軽減されるのかな。これ以上はちょっと、持病のこともあるし怖さを感じるんだけどってくらい疲れる。

交わされる用語が分からない。せっかちな自分は、何かしら情報のインプット、もしくは問題が発生した場合にはすぐさま解決策なり参照されるべき情報を脳内で検索しようとする。が、当然ながら404 Not Foundである。

人となりが分からない。こちらのこの挙動がどこまで許されるか分からない。

メーラーの使い方が分からない。未だメール1本作成していない。

電話の使い方が分からない。社内便の使い方が分からない。何が分からないのか分からない…。

いずれも転職をしたなら当然経験することであろう。そう言い聞かせてやり過ごしているけど、ストレスが相当なもんだ。

恐るべき国家資格を持っている人、帰国子女の人、等々ツワモノばかりで、自分の場違い感は半端ない。これから英語を勉強していこうと思うけど、湘南新宿ラインの激混み通勤だけで疲労困憊。

ぬるま湯に浸かったまま、全体の分からぬ中で歯車として生きていく道もあったが、その虚空をつかむような漠とした不安感を拭い去るがために選んだ道。初心を忘れず、心をおらず、頑張る。

野球日和

やることがなさすぎて朝から時間の経過が遅かった。そろそろ休みに飽きてきている。映画を見て読書をして野球をみてれば飽きることなどないだろうと思っていたのに、このザマである。暇潰しの才が乏しくて悲しい。

朝から暇で仕方がないので関東チームのファーム日程を調べてみたところ、なんと浜スタで二軍戦をやっていることが分かった。急いで関内へ。30分後には既にスタジアムに到着しており、これは今後も気軽に浜スタへ足を運ぶべきではないかと思った。

初夏を思わせる日差しが心地よく、ビールを煽りながら一人試合に没頭。バットとボールの乾いた音が気持ちいい。オヤジたちの直情的な野次にはくすりとさせられ、自分もあんなに感情表現ができたらなと思いを馳せる。試合内容は一軍同様壮絶な打ち合いの馬鹿試合で、大いに野球を楽しめた。

f:id:RainbowSong:20140425165140p:plain

(最後には真田を見れた。台湾リーグを経て、日本球界に復帰してたんだな。登板直後から滅多打ちを喰らってヘロヘロだったのがまた味わい深かった。内村は打撃も走塁もいいところなく、特に打撃は重症。横浜でどんどん居場所がなくなっていて心配になる)

しかしまぁ、しばらく俗世間から離れている間に対人恐怖が悪化している気がしている。人と目が合わせられないし、見知らぬ人とすれ違うのでさえやたら緊張をして挙動がおかしくなる。こんなんで転職活動を乗り切ったんだから自分の演技力も相当なもんだ。だんだん近づいてくる出社日、このままでは不安である。どうやったら人にビビらなくなるんだろう、ほんと嫌になる。

だんだんと転職先出社日が近づいてきている

ああ、出社日の足音が聞こえる…。焦りの感情とともに残りの休日をカウントするこの感覚は学生時代(大学除く)の夏休みのよう。久しぶりに味わう感情だ。自己啓発本嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え)を読んでしまうくらいにはナーバスになっている。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 この本の感想を書きたかったけれども体系的にまとめることができないので挫折。一度読んだだけではうまく咀嚼できずにいる。「他社の課題」「自分の課題」という視点は大変ためになったので覚えておこうと思うが、それ以外はいかんせん納得できない。納得できないというのは、その有用性についてである。本の中の“青年”が反論するように、向上心をもたず自分のあるがままを許容し他社への貢献(それは他社の承認を求めるのではなくて自分でできる範囲での他社貢献をすればよいという程度の貢献)だけを行っていく姿勢は人間を駄目にすると思う。問答の中で何回か反駁があったような気もするが、自分は理解できていない。また目的論的考え方は、自分の境遇や過去から切り離されたい時には有効であるように思うが、やはり過去が自分の劣等感含め自尊を醸成しているわけであり、早々に因果律から転向はできない。何かしら精神的に潰れるようなことがあった際の緊急避難場所として、目的論という考え方を持っておきたいと思う。